医療の常識を覆す、「治療アプリ」のインパクト
おなじみのスマートフォンのアプリが投薬など従来の方法では成し得なかった目覚ましい治療効果を発揮するーー。
画期的な「治療アプリ」の実現に向けて医師が立ち上げたスタートアップ企業。
慶應義塾大学との臨床研究で目指す医療革新のインパクトに迫る。
「治療アプリ」で切り拓く医療の新地平
私たちは、従来の医薬品や医療機器では治療できなかった病気を治すための「治療アプリ」を開発しているスタートアップ企業です。「治療アプリ」とはその名の通り、スマートフォンアプリを“治療用ソフトウェア機器”として活用し、日々の治療データを医学的知見を搭載したアルゴリズムが解析することで、患者一人ひとりに最適な治療を実現する、新しい仕組みのことです。
例えば、弊社が慶應義塾大学医学部の呼吸器内科学教室と共同開発しているニコチン依存症治療用アプリ『CureApp禁煙』では、医師は患者の医学的データを入力し、患者は自身のスマートフォンから体調や症状、薬を飲んだかどうかなどの日々の情報を入力します。それらのデータを弊社が独自に解析し、医学的エビデンスに基づいた治療方法などのガイダンスを表示していきます。
仮に患者が病院に毎月1回通っているとして、通院と通院の間の期間はニコチン依存症との孤独な戦いが続くわけですが、このアプリではその“治療空白”においても、薬や通院の管理だけでなく、専門の医師が患者に対して行う依存症の心理療法を毎日行うことで、これまでにない治療効果を見込んでいます。
こうした「治療アプリ」の開発に取り組むに至ったきっかけは、2013年にアメリカのジョンズホプキンス大学院へ留学した際に、臨床現場における医療ソフトウェア・データの管理や活用を研究する学問「医療インフォマティクス」に出合ったこと。その中で、アメリカでは世界に先駆けてスマートフォンアプリをはじめとするソフトウェアを医療の現場で活用する取り組みが進んでおり、生活習慣病や精神的な病気に対して治療効果が認められつつあることを知ったのです。日本ではまだ誰も知らなかった「治療アプリ」という考え方に大きな可能性を感じるとともに、このままではアメリカに先を越されてしまうという一心で、14年の帰国後、「治療アプリ」の開発に取り組むべく、慶應義塾大学医学部時代の同級生だった鈴木晋とともに株式会社キュア・アップを設立しました。
ニコチン依存症の治療アプリ『CureApp 禁煙』を開発
いま世界を見渡してみると、ITを中心とする革新的技術を医療や健康、介護などの現場で積極的に活用する試みが活発化しています。こうした「デジタルヘルス」全体の取り組みにおいて、残念ながら日本は世界に遅れを取っているのが実情です。「治療アプリ」の開発においても、アメリカでは糖尿病患者に医師が処方するアプリがFDA(アメリカ食品医薬品局)から薬事承認を受けており、治療現場に導入されています。その治療効果についても、新薬と同程度またはそれ以上という論文が発表され、大きな注目を集めています。さらに、抗がん剤治療においても患者の状況を毎日細かく管理することで、合併症などの早期発見や早期の治療介入が可能になり、生存率が伸びたというデータも出ています。私自身、医師として従来の薬や医療機器では治しきれない病気と数多く向き合ってきた中で、こうした「治療アプリ」に新たな治療方法としての大きな可能性を感じています。
その一方で、私たちが「治療アプリ」を開発するにあたり、ニコチン依存症に注目した理由は二つあります。まず、私自身の呼吸器内科医としての知見を活かすことができること。そして、人々の生命予後を左右するリスクファクターとして、喫煙が最も大きな割合を占めていること。喫煙が原因で死亡する日本人の数は年間約13万人に上るというデータがあるなど、ニコチン依存症の治療は社会的にも大きな課題といえます。アルコールなどを上回る依存性があるニコチンに対して、いまだに“気合い”でこれを乗り越えようという風潮が根強い一方、意を決して禁煙外来に通い始めた方の1年後の継続率はわずか3割。禁煙補助薬を処方するだけに留まりがちな現在の治療に対して弊社の治療アプリ『CureApp 禁煙』を導入することで、薬だけでは介入しきれない心理的な依存に対しても、安価かつより効果的なサポートを行うことができるのです。
医療ソフトウェアで描く、革新的医療の新地平
『CureApp 禁煙』は現在、慶應義塾大学病院をはじめとする医療機関で臨床研究を実施しています。このアプリが保険診療の対象となるためには、薬事承認を得るための「治験」と呼ばれるプロセスをクリアする必要があり、現在はその前の多施設臨床試験まで進んでいます。日本で初めてとなる「治療効果を持つアプリ」の治験も見据えた研究開発のために大きな資金が必要となる中で、総務省や経産省、NEDO(国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構)からの補助に加え、KIIからの支援には非常に心強いものがあります。「治療アプリ」という、日本では前例のない医療ビジネスに対して、私たちの想いやビジョンに共感し、一緒の船に乗って未来を切り拓こうとしていただいている、かけがえのない存在だと感じています。
今後は、東京大学医学部附属病院と共同開発を行っている非アルコール性脂肪肝炎(NASH)の「治療アプリ」のように、さまざまな疾病において、専門性を持つ医師たちとの取り組みが広がっていくでしょう。近々の目標としては、一つひとつの疾患に対して効果のある「治療アプリ」を次々にリリースすることのできる体制をつくること。私たちが前例となることで、医療ソフトウェア産業が日本の成長分野となり、アメリカとともに世界を牽引することも夢ではありません。
個人的な予感としては、医療ソフトウェアを活用することによって、投薬や医療用ハード機器による治療を超える規模の大きな変革が世の中にもたらされると信じています。電気自動車メーカーのテスラモーターズなどを率いるイーロン・マスクCEOは、完全自動運転の実現によって「人間が運転するなんて危険すぎる」といわれる時代が来ると予言しました。同じように医療の世界でも、手術を含む治療のあり方全般においてテクノロジーが活用され、人間を超えるレベルに達する時代が訪れるでしょう。
いまはまだ医師個人の経験や暗黙知に支えられ、医師各々の知識や意欲によってバラツキが生じてしまう治療現場において、ソフトウェアが媒介となって最先端・最高水準の知見を日本、ひいては世界中で共有・統合していくことが可能になり、一人ひとりの医師の技能を超えた最高水準の治療がいつでも・どこでも受けられるようになる。私たちの「治療アプリ」は、そんな素晴らしい未来を生み出す大きな変化の、まだ始まりに過ぎません。臨床現場に立つ一人の医師として、そして画期的な「治療アプリ」の開発者として、病気に苦しむ人々のために、これからも力を尽くしていきたいと思います。